mike-neckのブログ

Java or Groovy or Swift or Golang

JJUG CCC 2020 Fall で jq の発表をしてきた

表題のとおり発表しました。

多分、そのうち YouTube で動画が公開されると思います。

発表資料ですが、資料の作り方の関係上、公開できるものはありません。


動画について

今回の 発表資料は動画で提出するという新しい試みでした。

したがって、いつものような発表直前まで資料を作るというグータラなやり方はできませんでした。

一方、資料を作った上で動画を撮影することも求められました。

自分はしゃべるのが苦手というより喋りたくない人間なので、長時間(数十分)を間違いなしにしゃべるのは無理だと動画を撮影する前に想定しましたが、実際に資料の作成開始前にサンプルとして 10 分ほど動画を撮影してみたら、間違えまくり、かみまくりだったので、通しで動画を撮影することは無理であると考えすぐに諦めました。

そこで、今回の資料は 2 〜 3 分くらいの動画を、 十数個作って、それを編集でつなげるという作戦で資料を作ることにしました。 資料もその動画撮影の方針に合わせて小さな断片的な資料を十数個作る形となりました。 また、動画という提出形式もあって動かない資料よりも、 実際にターミナルで操作している様子を動画で見せたほうがよいだろうということもあって、 断片的な資料の中身もほとんどが動画となりました。

以上の理由から、断片的な資料をまとめたものがない(面倒くさい)ため、今回発表資料を slideshare 等で公開できませんでした。


資料作成中に考えたこと

コロナ禍で集会を避けるようになり、オンラインで勉強会が開催されるようになりました。 これを家の作業を片付けてから参加できるので気軽に参加できるようになったという歓迎の声が聞こえるようになりました。 一方で自分の方は家に集中力を妨げるもの(ゲーム、ゲーム、ゲーム) が多いことから、勉強会の動画を見ててもわりと集中力が続かず、 なんか勉強会に対する熱が冷めたなと思うようになりました。

このようなテクノロジーによって社会が大きな変革を迎えるときの人間の心理や考え方の変化を記述しているエッセイがあります。

ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』という小さなエッセイです。

このエッセイの要点は銅像、絵画や風景さらには人物に漂っていたオーラ(今ここ性)というものが写真や映画にはなくなるため人間の視覚が変わるというものです。 このエッセイでは、オーラというものが宗教に結びついていると指摘しています。

『複製技術時代の芸術作品』を詠みながら、自分を勉強会に向かわせてたのは、なるほど宗教的熱狂でしたかと反省していました。


動画撮影について

上記の通り 2 〜 3 分の断片を iMovie で編集しましたが、この断片はものによっては撮影を十数回撮り直すなどしていました。 そして、そのうち動画撮影に飽きてきて、しゃべるのが面倒になってきたので、 AWS の Polly で喋らせたものを貼り付けたりするようになりました。

Polly は ssml の xml を送りつけると、音声をストリームで返してくれるという面白いサービスで、 どうやったらいい感じに喋ってもらえるかを考えながら API を叩いていました。

で、なぜか、音声合成面白いと思うようになったので、

VOCALOIDを買って、初音ミクさんが FizzBuzz する動画を作って遊んでいる現在です